西田利の日記

チャイパブは、右の「チャイパブの灯だ」、記事の内容を選んで「xx年xx月xx日の日記」、記事の先頭行のリンクだよ。PCで見てね。

写真

http://news.qq.com/a/20080516/003569.htm

 特警の戦士は廃墟に押しつぶされた子供たちに為す術も無い状況に直面して大声を上げて泣く。


http://news.qq.com/a/20080518/000258.htm

 3歳の女の子は両親とも死亡。人を見るとすぐにパパ、ママと叫ぶ。


http://news.qq.com/a/20080517/000531.htm

 罹災地の子供は感謝の標語を掲げて救援人員を迎える。「みなさんご苦労様」


http://news.qq.com/a/20080517/000936.htm

 男性は縄で妻の遺体を背中に縛って彼女を死体安置所に送ろうとしている

日本救援隊は夜を徹して7時間で青川に到着。

http://news.qq.com/a/20080516/003298.htm

 5月16日午前9時45分、第一陣31人の日本の専門救援人員は成都から400kmの青川県関庄鎮に到着。救援地から5kmの地点の地滑りで道路が開通せず、捜救人員はただ現地で命令を待つことしか出来ない。日本救援人員は“一筋の希望さえあれば我々は最後の瞬間まで努力することができる”と発表した。これは日本の救援人員が捜救地点を変更することの可否についての緊急会議。


http://news.qq.com/a/20080516/003298_2.htm

 この救援隊は捜索救助犬、瓦礫の下の罹災者を探す小型カメラと岩石切断機などの装備を携帯した。

携帯

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080517-00000062-jij-pol
小中生の携帯所持禁止を提言へ=教育再生懇が一致
5月17日15時1分配信 時事通信

 政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾塾長)は17日、都内で会合を開き、小中学生に携帯電話を持たせないよう保護者らに求める提言を、今月末にまとめる一次報告に盛り込むことで一致した。報告には、小中学生が使う携帯電話の機能を、通話や居場所確認に限定するよう携帯電話業界に求めることなども盛り込む。
 会合で、町村信孝官房長官は「携帯電話を使った犯罪が多発しているので、携帯会社任せにせずに規制を考えることが必要ではないか」と述べた。山谷えり子首相補佐官は会合後の記者会見で、「携帯を強制的に持たせないわけではないが、教育的視点から、保護者や業界に深く考えてもらうよう、メッセージを発信したい」としている。』
 原始人の生き残りたちが新しい機械に驚いて腹を立てる状況は文明が進歩する限り永遠に続く。


http://ascii24.com/news/i/hard/article/2005/11/24/659231-000.html
SA800iは“子どものへの配慮と保護”をコンセプトとした携帯電話機で、防犯ブザーと内蔵GPSを使った位置情報通知や、子供向けにデザインされた本体やユーザーインターフェース、子供向けiモードサービスなどを組み合わせた製品である。特に防犯関連の機能は、現実の犯罪で想定されるさまざまなシチュエーションを考慮し、それに対抗できるような配慮が施されている。

読売新聞

 チャイムを鳴らして「西田さーん、西田さーん」と言う。どなたかと聞くと「近所の者です」という。近所の何者かと問うと「読売新聞ですが粗品を持ってきました」と言う。パンイチでネットサーフィンをしているのだから「着替えないと出れない」と言うと「待ちます」と言う。ズボンを履いて出てみると「大師駅の向こうの読売新聞です。これまでなかなか会えなかったので・・・仕事は遅くまでですか。いつも何時ごろお帰りですか?」と聞く。「何の調査だ? 答えなきゃならんの?」と言うと「いえいえ」と言う。「ご近所ですのでこの機会によろしく」「そうですか」「ですから一つよろしく」「なにを?」 うしろめたいんだろうか、新聞を買え、とはなかなか言わない。が、遂にはその言葉を言わにゃならない時が来る。「新聞は見ませんよ」「見ないんですか?」「新聞は見ません」 ・・・粗品はどうした?


 良い事が書いてあるから買って読め、と言う新聞の勧誘を見たことが無い。お願いしますどうか私を助けると思って、と言う。

文章

http://world.newssc.org/system/2008/05/18/010837092.shtml

17日晩23時、夜色は墨のように黒く、おりからの大雷雨の中、60人の日本救援隊員の車列が道路上の瓦礫に揺られて地震の重災区四川省北川県に入った。このとき、今回の巨大災害から130時間近く過ぎていた。これは5月12日に大地震発生後罹災地に到着した最初の外国専門救援隊であり、また新中国成立以来の特大自然災害後に初めて受け入れた外国専門人員の救援でもある。


 白昼、新鋭機器と工具を携帯した彼等は青川県の捜救活動を終了して、生存者を発見しなかった。だいたい夜半に北川県曲山鎮のある中学の廃墟上で徹夜で捜救を展開した。

 情報では、ここには1500人の学生が埋もれていて、中国側の救援人員がすでに700人の生存者を救出して、併せて70余りの遺体を捜し出した。

 “まだいることを願う”

 日本救援隊は青川に16日午後に到達して、連続作業16時間、17日夜明け方に2体の遺体を捜し出した。“私たちはたいへん残念に思っていて、たとえひとりでも良いから生存者を捜し出したいと考えている。” 海上保安庁の大川雅史は厳しい顔で話す。

 昼ごろ、第1次日本救援隊と後から到達した第2次の合流の後、すぐ北川に出発した。第2次の部隊はセメント切断機などの大型機械と3匹の捜索救助犬を持って来た。

 救援隊中に2名の女性看護師がある。川谷陽子は“最も主要な任務はすぐ生存者を救助することだ!”と決意を述べる。

 村岡嗣正は消防庁の参事官助理で、16日すでに一晩中作業をした。“我々は一刻も早く現場に着き、経験と能力によって、先進機器を使って捜救することを切実に希望している。まだ希望があるか? 私は有ると信じる。最大の努力を尽くす必要がある。”

 その他の隊員も、全力を尽くして行う必要があり一同の信念はわずかも低下せず来たときの気持ちと同じで変化がない、と言う。

 国内ですでに12年の大型災害捜救の経験がある大川雅史は、中国に派遣されることをたいへん光栄に思うと言う。“これはまた本組織の光栄です。”

 これらの隊員はそれぞれ、警察庁海上保安庁消防庁、日本国際協力機構と外務省などの部門から来ている。ある人はイラン大地震インドネシア地震津波の捜索救命に参加したことがある。彼等はただ日本語と少しの英語が分かるだけで、このため多数の中国語通訳が配置された。


 無言で引き上げる隊員たち

 日本隊員の第1捜索現場は青川県都の開放街です。青川県の漢方医院の家の楼の倒壊した場所で、宋雪梅という名の女性と彼女が75日前に産んだ女の子がここに埋まっている。

 隊員たちは16日午後に現場に到着した後、すぐに人が埋まっている大体の場所を確定して、その後警戒範囲を決めて、一刻も休まず捜救を開始した。

 夕方頃、生命探測機にはすでに生命存在を探測することが出来ないけれど、しかし、日本救援隊は依然として徹夜で捜救する − 生きているならその人を見るまで、死んでいるならその遺体を見るまで − と決定した。

 “見たところ、罹災者の生存の希望は大変低い、しかし、以前にはこのような時に生還者を救出する先例がある。”と、小泉崇隊長は話す。

 救援人員を3班に分けて、輪番で作業を行い、常に母親と女の子の具体的位置を確認する。“日本ではこんな惨烈な捜救現場は見たことが無い。”と、隊員中島康は話す。

 記者からは掘っている現場が見えて、橙色と藍色の2色の服を着た救援隊員は瓦礫の中で懸命に作業していて、少しの間機械を用いて、また少しの間手を使う。彼らの周囲は裂け目だらけで、まだ崩れていない壁がある。捜救の途中で何度も余震が発生して、街道の両側の建物の残りくずが粉々に落ちてザーザーと音を立てるのが聞こえる。

 17日夜明け方の4時、交替して下がった救援隊員は地面に服を合わせて眠る。記者は質問する、なぜよい場所を捜さないか? “私たちは捜救者であって、いかなる情況下でも常に命令に従わなければならない。”1人の隊員は厳粛に話す。

 明け方7時25分、ついに母と娘の2人の遺体を捜救人員が両手を使って掘り出して来た。日本救援隊全員は遺体に黙祷する。


 “日本隊員の辛労に感謝する” 55歳の中国の母親の張香玲は、ただ娘の遺体を見ただけだったけれど、しかし“日本隊員の辛労に非常に感謝する”と言って、また同時に、彼女は最後に娘を見る機会を得た、とも言った。

 傍らの群衆も同様に話す:“あなたたちが来ることをとても歓迎する。多くの希望を持って来た!”

 16日晩、付近の中国住民は自発的に幾箱かの政府放出の即席ラーメンと湯を持って、日本救援人員に無料で夕食を提供した。これは、この一日中、彼らが食べた唯一の暖かい食事だった。

 17日の昼は彼らは両餐雑炊を飲んで、晩は弁当を食べた。


 日本国際協力機構中国事務所副所長藤本正也は話す、今回の災難で2つの事で大変深い印象を受けたが、一つは中国政府の反応が俊速で情報公開が早かったこと、二つ目は中国民衆に地震以後に現れた団結と協力で人の表情を変わらせた。


 日本のほか、ロシア、韓国、シンガポール三国政府が派遣する専門救援隊は同様にすでに重罹災地区で捜救作業を開始した。


 中国外交部発言者は話す、地震災の害発生以後、いくらかの国家が罹災地に救援人員を派遣したいと表明した。“私たちは近隣と敏速の原則に基づいて決定した”、“私たちはこれらの国家の政府と人民が中国人民に与える同情と支援に深く感謝する。”』

ダイオキシン

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707091700_01.html
北部で枯れ葉剤散布/米軍、60年代訓練場一帯
 米軍がベトナム戦争で使用した、猛毒のダイオキシンを含む枯れ葉剤を一九六一―六二年、沖縄の米軍北部訓練場などで散布、作業に携わった元米兵が前立腺がんの後遺症を認定されていたことが八日までに米退役軍人省の公式文書で明らかになった。
 【国頭・東】緑豊かな県民の水がめの周辺に、猛毒ダイオキシンを含む枯れ葉剤がまかれていた。「ショック」「住民の健康と環境の調査を」。地元の国頭、東両村の村長らは報道に衝撃を隠せない。米軍北部訓練場は一部返還が決まっており、跡利用への影響も懸念した。エコツーリズムの舞台として活用する住民は、不安の払拭を求めた。

 国頭村の宮城久和副村長は「大変ショック。アメリカの公的な機関から発表されている事実。国はきちんと調査をし、住民に知らせてほしい」と話した。同村では訓練場の返還後、新たな土地活用について話し合いを進めており、「今後、計画に影響を及ぼすのでは」と懸念した。

 東村の伊集盛久村長は「散布が事実なら由々しき問題。県民の水がめを抱える村として看過できない」と語気を強めた。「国に事実を明らかにしてもらい、その上で村民の健康調査を求めていきたい」と話した。

 高江区の仲嶺武夫区長は「ヘリパッド着工も進む中、住民の不安がますます大きくなった。まず場所の特定が必要。ダムに流れた可能性も否定できない」と、不安を隠せない様子で語った。

 国頭ツーリズム協会の山川安雄代表は「まったく初めて聞いた。北部訓練場には生物調査などで多くの人が入っているが、植物の生育が悪いなど、異常さを裏付ける情報は聞いたことがない」と語る。「報道が事実なら、完全に不安を払拭するためにも場所の特定やきちんとした環境調査をしてほしい」と求めた。

     ◇     ◇     ◇     
ベトナム向け「実験」か


 枯れ葉剤の影響について長年ベトナムで取材を続ける報道写真家の石川文洋さんの話 一九六一年当時はまだ枯れ葉剤の人体への影響については把握されてない時期だが、同時に米国はベトナム戦争への本格介入を前に、既に軍事顧問団を送っており当然、米軍は枯れ葉剤の戦略的な重要性に気が付いていたはずだ。

 北部訓練場での散布は、ベトナム戦争へ向けた「実験」の位置付けと、訓練の障害を取り除くための雑草除去という二つの目的があったのではないか。

 枯れ葉剤の影響は長期間続く。二〇〇五年にベトナム現地で取材した時も障害がある赤ちゃんが次々と生まれていた。今後十年で終わるのか百年続くのか、誰も断言できないところが一番恐ろしい。


基地返還にも影響/琉球政府 元担当者


 米軍による枯れ葉剤の散布が判明した米軍北部訓練場(東村など)は、部分返還に向け政府が米軍ヘリパッドの移設工事に着手したばかり。枯れ葉剤による汚染の有無などその実態は不明のままで、周辺住民は「汚染の程度や健康被害が分からないことが不安」と話している。

 「米軍の毒ガス移送が大きな問題になったことは知っているが、枯れ葉剤の使用が問題にされた記憶はない」。一九七二年の沖縄の本土復帰前から琉球政府(現沖縄県庁)に勤務、基地問題にかかわってきた元幹部は話した。

 ヤンバルクイナに代表される貴重な動植物が残る沖縄本島北部。人口が多い島の中南部へ水を供給する複数のダムもある。元幹部は「枯れ葉剤は後遺症の問題もあり、事実なら基地返還にも影響するはずだ」と指摘する。同訓練場は一九九六年の日米特別行動委員会(SACO)最終報告で一部返還で合意。順調なら数年以内に返還されることになるが、米側には汚染除去などの義務はない。

 隣接の同県名護市で環境保護に取り組む「ジュゴンの里」代表の東恩納琢磨さん(42)は「枯れ葉剤散布は聞いたことがないだけに被害が恐ろしい。これまでも別の基地で有害物質が発見された経緯がある。汚染をきれいに除去し、情報公開すべきだ」と話した。


水がめ地帯 散布は重大


 沖縄県環境審議会会長の桜井国俊沖縄大学長(環境学)の話 北部訓練場は沖縄県民の水がめでダムがつくられ続けており、その地帯で枯れ葉剤がまかれたということは重要な問題でたいへん気になる。枯れ葉剤に含まれるダイオキシンは環境の中では消えないからだ。米軍基地内で行われることは分かりにくく、枯れ葉剤の散布は県も知らされていないだろうし、われわれも知らなかった。』


http://www.erc.pref.fukui.jp/news/d00.html#2
(1)ダイオキシンの毒の強さはどのくらいですか。
 人工物質としては、最も強い毒性をもつ物質と言えます。

2)ダイオキシンはがんを起こすのですか。
人に対する発がん性があるという評価を行なっています。

(3)ダイオキシンは赤ちゃんの奇形を起こすのですか。
 妊娠中の動物実験(ねずみなど)にダイオキシンを与える実験で、口蓋裂、水腎症などの奇形を起こすことがわかっています。
 人については、ベトナム戦争帰還兵の子供の脊椎の奇形について、ダイオキシンと関連があるのでは、との報告もありますが、まだ不明な点が多いようです。』


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%83%89%E3%82%AF%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93
ベトちゃんドクちゃんは、ベトナムで下半身がつながった結合双生児として産まれた双子の兄弟の愛称である。兄はグエン・ベト(Nguyễn Việt, 漢字: 阮越、1981年2月25日 - 2007年10月6日)、弟はグエン・ドク(Nguyễn Đức, 漢字:阮徳、1981年2月25日 - )。

2人はベトナム戦争時にアメリカ軍が大量に散布した枯葉剤の被害者であると言われている。そのショッキングな姿は特に日本でベトナム戦争被害のシンボルとなり、様々な支援の手が寄せられた。』