西田利の日記

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戦艦大和の最後の出撃は片道燃料ではなかった

http://www.biwa.ne.jp/~yamato/kobayashi.htm
戦艦大和の沖縄突入作戦について
(中略)
私は(中略)昭和19年4月30日聯合艦隊参謀に補せられ、旗艦大淀に乗艦し、主として補給の業務を担当しておりました。
(中略)
唯『たとえ生還の算がなしとは云え燃料は片道分しか渡さないと云うのは武人の情にあらず』と大半の幕僚は本作戦に反対意見を開陳しました。聯合艦隊司令部首脳は、種々苦慮された様です。

(中略)

「おい、今井君。今貴様の所では帳簿外の重油は幾許あるか。(中略)無理かも知れないが、この帳簿外の重油の一部を俺に呉れ。」

「小林さん、一体どうしたのですか。藪から棒のお話、訳がよく解りません。勿論帳簿外の重油は相当量残って居ります。事情を説明して下さい。」

と云う次第で、私は大和を旗艦とする第二艦隊の沖縄突入作戦の決定迄の経緯を詳しく説明し、「たとえ生還の算少ないとは云え、燃料は片道分だけしか渡さないと云うことは武人の情けにあらず。往復の燃料を搭載して快く出撃せしめたい。今回無理を云って聯合艦隊参謀長に随行して来た私の目的は、唯この一点だけである。聯合艦隊参謀と云う公職で頼むのではなく、小林大佐一個人の懇願なのだ。」

と話たる所、今井参謀も之を快諾す。
(中略)
本作戦に於いて駆逐艦が4隻生還している。駆逐艦はタンクの容量が少なく、航続距離も出ない艦であるが、無事生還して居る。片道分の重油では生還は出来ない。往復燃料を搭載したことの何よりの証拠である。 これは正式に残っている文書は全然なく、戦後刊行物、幾多の戦記書に『片道航海』『無情の海軍』との謗りを受けておりますが、事実は以上の通りであります。之が証人たる今井参謀及び松岡参謀も今は世に居ない。生き残れる唯一の証人として私が以上の事実を申し上げた次第であります。

連合艦隊参謀海軍大佐小林儀作氏の手記より』