西田利の日記

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CIA

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88
《9.30事件の外交文書公表(米国家安全保障公文書館)》 スハルト元大統領がスカルノ政権から政権奪取するきっかけとなった1965年の九・三〇事件のあと、インドネシア全土を巻き込んだ共産主義者一掃キャンペーンに、米国政府とアメリカ中央情報局(CIA)が関与し、当時の反共団体に巨額の活動資金を供与したり、CIAが作成した共産党幹部のリストをインドネシア諜報機関に渡していたことを記録した外交文書が、米国の民間シンクタンク・国家安全保障公文書館によって公表された。

文書は2001年4月に機密指定を解除された1965年から1966年の米政府の外交文書で、スカルノ元大統領によるマレーシアと米国への対決政策(1964年)、9.30事件当日から1966年3月までの間、ジャカルタ駐在の米国大使などから当時のジョンソン大統領、国務省などに宛てた書簡、公電などのほかマレーシア、シンガポール、フィリピン情勢に関連する約900ページに及ぶ記録や注釈が含まれている。

9.30事件の直後から、「ソロ川の水が赤い血に変わった」と言われるほど共産党狩りの犠牲者は激増したが、1966年4月15日、米国大使館は、東と中部ジャワで「毎日50人から100人の共産党員が殺害されている。その数は10万ないし100万人に近い数字とされるが真相はわからない。しかし、マスコミに聞かれた場合、なるべく低い数を発表するのが賢明だ」と報告した。その後、1970年には10万5,000人とするCIA報告が記録されている。

これらの文書を分析した国家安全保障公文書館は、CIAの機密文書が抹消されている部分を取り上げ、米政府が反共キャンペーンを支援したことをCIAが隠そうとした事実を指摘している。』