西田利の日記

写真サーバーSSL化成功

オリンピック精神

http://www.pekinshuho.com/zt/2008olympic/txt/2008-08/19/content_144327.htm
アテネ五輪の重量挙げ男子69kg級の銀メダリストである韓国の李培永選手が8月12日、北京五輪の重量挙げ男子69kg級の決勝で失敗した。それでもバーベルは最後まで握っていた。中国の観衆は熱い拍手で応じた。李選手は1回目のトライアルでけがをしたことで、メダルを逃した。

五輪競技場では観衆は選手の勝利に歓呼したが、同様に健闘した選手、あきらめずに最後まで踏ん張り通した選手を拍手で応援した。金メダリストの輝きは忘れがたいものだが、けがをした勇士、揺るぎない信念をもつ選手も永遠に人々の記憶に留められるだろう。われわれは勝利選手を誇らしく思うと同時に、敗退選手に喝采を送ろう。五輪競技場には失敗者はいない。それこそがオリンピック精神だ。

「北京週報日本語版」2008年8月19日』
 すばらしい写真付きのすばらしい記事だ。幼稚な報道を見た後では特に。



http://www.pekinshuho.com/yzds/txt/2008-08/17/content_143359.htm
敗者にも敬意を
北京オリンピックでは8月16日午前9時までに、332のメダリストが決まった。私たちは、マイケル・フェルプス選手のように、奇跡を起こしたような選手たちに喝采を送ると同時に、初戦で敗れた選手や、五輪に出られなかった多くの選手を忘れてはならない。

そうした選手たちも、かつては優勝した選手たちと同じように努力し、競技場で自分の技を思う存分披露する夢を抱いていた。しかし栄誉と現実の悲しみに面した彼らにとって、失敗という言葉は永遠に避けたい言葉だろう。

五輪競技場での勝負はとても大切だ。しかし偉大な人格と公平な競争への尊重はさらに主唱される。「同じ世界、同じ夢」という理想の中で、負けた選手たちは英雄的な姿勢で、それぞれの角度からオリンピック精神と生命に対する追求を解き明かしている。

試合の残酷さと競技の公平さは、スポーツの永遠の魅力だろう。選手が競技に身を投じることは、つまりこの残酷さを選択したということだ。

私たちが目にするのは、表彰台に上がった時の選手であり、自分が定めた目標に進んでいる時の選手たちは私たちの目には触れない。これはオリンピック精神の感化と鼓舞であり、スポーツ競技の強靭さと執着さでもある。

敗者たちの失意と努力が勝者の実力を向上させ、彼らを本当の強者として世界の競技場に出場させる。そういう意味でも、敗者の貢献はオリンピック精神を豊富にしている。

オリンピックでは成敗を論じず、成敗で英雄を論じない。これは私たちが抱くべき人文精神と大国的な心理状態だ。私たちはメダルを獲得した選手に拍手を送ると同時に、オリンピックに向けて努力し、敗れた選手たちにも注目しよう。

エアライフルで金メダルに輝いたカテリナ・エモンシュ選手が、4位になった杜麗選手を抱きしめ、花束を贈ったのと同じように、私たちも全ての敗者に理解と敬意、寛容さを捧げ、私たちの誠意で力のない者に力を注ぎ、悲観的になっている者を前を向かせよう。

「チャイナネット」2008/08/17』
 隣国人を憎むだけが能の人たちが受け取ることが無い贈物。


http://www.pekinshuho.com/yzds/txt/2008-08/14/content_142342.htm
国境を越えるオリンピック精神

ロサンゼルスオリンピックでこれまで中国で唯一のフェンシング競技での金メダルを獲得した欒菊傑が、カナダの代表として北京五輪のフェンシング競技に参加している。故郷でオリンピックの夢を叶えた彼女は、国内メディアから注目され、褒め称えられている。また、女子バレーボールで五連覇を達成した時の主力選手であった「鉄のハンマー」こと郎平は、今回は米バレーボールチームを率いて五輪に参加し、中国のバレーボールファンから「郎監督、郎監督、大好き!」と声援を受けている。

北京大学体育館では、元中国卓球チームの名手がそれぞれ別の国の国旗が描かれたシャツを身にまとい、北京に集まる。北京オリンピック公園のアーチェリー競技会場は至るところ、韓国語のかけ声に満ちる。これこそがオリンピック、国境のないオリンピックだ。

異なる国のアスリートとコーチが自らの身体で自らの国の得意競技を普及させるとともに、その競技の世界水準を向上させる。

『オリンピック憲章』は、オリンピックの主旨について「スポーツを人間の調和のとれた発育に役立て、人間の尊厳を守り、平和な社会を発展させることを推進するものである」としている。北京五輪大会の開会式は、現代的な技術を駆使して活版印刷の「和」の字を示し、全体を貫く演出として、終始、間接的に「人」の字をはっきりと表していた。これは、オリンピックの主旨に対する非の打ち所のない解釈だ。五輪競技場では、勝利する者もいれば敗退する者もおり、笑顔もあれば涙もある。だが、五輪競技場では恨みや破壊は永遠に存在しない。最終的にオリンピックは、人々にスポーツの楽しみを伝え、その中からオリンピック自体を向上させていくものである。

女子10mエアピストルの表彰式で、銅メダルを獲得したグルジアのニーノ・サルクワゼ選手は、銀メダルを獲得したロシアのナタリア・パデリナ選手の頬にキスし、2人は抱き合って会場に向かってあいさつした。両国のアスリートが五輪競技場で見せた深い愛情と抱擁は人々をとても感動させた。

貪欲なウイルスの拡散や暴力の魔の手をオリンピックが完全に阻止するすべはないのかもしれない。だが、オリンピックの力は強大でもある。それは「一つの夢」という世界平等の願いをまず、私たちが共有した「一つの世界」で実現させる。まさに、「♪私とあなた、心と心をつなぎ、永遠に一つの家族」となり、オリンピック精神はすでに国境を越えたのだ。

「北京週報日本語版」 2008年8月14日』
 このサイトではオリンピック精神をキーワードに記事を作っているようだ。


http://www.pekinshuho.com/yzds/txt/2008-08/12/content_140952.htm
五輪に戦争持ち込まぬ グルジアとロシアの選手が笑顔で抱擁
射撃女子エアピストルの授賞式が10日、行われた。金メダルは中国の郭文クンだったが、注目を集めたのは2位のナターリア・パデリナ(ロシア)と3位のニーノ・サルクワゼ(グルジア)。微笑でキスする2人の姿は世界各地の記者をひきつけた。両国では軍事衝突が起こっており、試合会場でも対戦相手となったため、火花の散る場面を予想した人もいた。

ニーノは、「同じ会場で技を競う選手はみんな友達です。私とパデリナは同じロシア代表として競技に出場したこともある。私たちはよい友達なのです。スポーツは政治と関係ない。五輪大会は特にそうです。射撃なんてちょっと刺激のある種目ですが」とはっきりと述べた。その場にいたロシア人記者もこの発言に拍手した。

人民網日本語版」 2008年08月11日』
 私は、日本のすべての報道がこうあるべきだと言ってるんじゃないんだ。中国の報道だってぜんぶがこんなであるはずが無い。そうじゃなくて、日本の報道の中にこういうのが一社も無くて、日本のすべての報道機関が命令されたように同じような報道をしているという点が、日本の大衆独裁主義社会の恐ろしいところだというんだ。