西田利の日記

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歴代の車

 西田家開闢以来の写真の整理が終わったので今までに家族が乗った車の写真を並べておく。



 まずスクーター。1961〜1962頃だろう。ラビットだと思っていたがネットで同じ写真が見つからない。デザインの傾向はピジョンよりラビットに近いような気がする。後ろのマークがはっきり見えないんだが。これ以前に普通のオートバイに乗っていた時代もあると聞いている。家族5人がスクーターで移動しておまわりに呼び止められ、気を付けて行きなさいと言われた、そういう時代だったそうだ。この写っている船津町の親父の仕事場は2010年に親父が死んで売り払うまでほとんど姿が変わっていない。



 おやじが運転できなくて運転手を雇っていた時期があったと聞いているのでこれはそういう時期のブルーバードだろう。ノボルさんという名前を憶えているが映っているのがそうかどうかはわからない。だとすると親戚筋だろう。



 白のブルーバード。これは覚えているような気がする。後部座席の灰皿にダットサンと書いていなかっただろうか。



 鴨池の家に停まっているから65年頃だ。ちなみに当時の鴨池町とは今の鹿児島大学法文学部のバス停の裏だった。今は荒田2丁目61−14とおっしゃるらしい。




 車がコルト1500に変わったのは66年頃らしい。走行時の風圧で温風が出るブルーバードと違って暖房に電動ファンが付いたので驚いた記憶がある。ウィンドウォッシャが付いたのもここからだがエアコンはもちろん無かった。




【参考写真】
 このころ免許を取ったおふくろのために中古の赤のベルリーナを買った時期があったと思うが写真が残っていない。置き場所にも困ってすぐ手放したんだろう。



 コルト1500を兄が曽我どんの傘焼き見物の帰りに高見馬場で追突して壊したのでおやじはコロナを買った。



【参考写真】
 この後で浪人中の兄のためにおやじがグランドファミリアクーペを買い与えた時期があったが写真がない。兄のグランドファミリアは緑色だった。



 コロナが最後にどうなったか知らないが親父はサニーに買い替えた。私や姉が大学生の頃でよく乗り回したもんだ。この車はおやじが80年頃与論に移住したときに持って行った。



 兄が中古で買ったホンダ1300クーペに乗っていたのは大学の後半と卒業後のしばらくだった。空冷4キャブ1300cc115馬力でハンドルを切って加速するとハンドルが戻らない、タイヤが完全に止まらないとローギヤに入らない、渋滞にかかるとオイル漏れからエンジンルームから怖いくらい煙が出る、エンジンを切ると2時間くらいかからない、というエキセントリックな車だった。写真の場所は鴨池空港跡地の某社。最後はこの撮影現場近くで燃料ポンプが壊れた。



【参考写真】
 このあと自分で初めて買ったスーパーシビックの中古車があったが写真がない。いまネットで拾てきた写真を見てもこんなのに乗ってたかねと思う。



【参考写真】
 この頃、兄と姉が共同で二代目プレリュードを買ったが私もよく運転した。写真は不思議なことに一枚も残っていない。写真を見た記憶があるが、どこに行ったのか?



 スーパーシビックは与論のおやじに送って、その後初代アコードの中古を買った。この写真は堺で。



 アコードのキャブレターが壊れて自分で修理できなくなったので91年に買ったのが今乗っているワンダーシビックだ。この写真は97年6月の香川県高松市のアパート。まだ6年だがこんな古い車で県外に出たらあかんでと当時すでに言われた。その後18年乗ってるわけだ。自分で初めて買った新車だった。


 番外編で与論で親父が乗っていた車。つまり私が与論に行った時に運転したはずだ。


 最初は80年頃に両親が与論に移住したとき鹿児島から持って行ったサニー。私も与論で運転した記憶がある。


 次に私が送った上記の中古のスーパーシビックで、送った時にすでにかなりボロボロだったと思う。与論でドライブ中に猿が興奮してダッシュボードを噛んでさらにボロボロになっていた。



 これはおそらくその次だが今この写真を見てようやく存在を思い出したが車種を覚えていない。兄が送ったんだろう。二代目アコードかもしれない。




 最後が姉が音頭を取って姉の旦那が買って送ってくれたスターレット。これが親父の最後の車になって、与論を引き上げた2001年頃に登録を抹消して与論に置き捨ててきた。いまでもまだ錆びきって放置されているだろう。




 というわけで、スクーターがラビットだったとすると家族がまだ誰も乗っていないメーカーはスズキだけになる。まあそんなことを基準に次の車を選ばないと思うが。
(160815追記:いすゞも含めるかな?)