西田利の日記

写真サーバーSSL化成功

北京第3日


 hotmailは使えませんよ。2000年には使えたのに。



 朝は日記を書いて過ごす必要がある。こんなことで時間を消費するのでは旅行に来た意味に疑念が生じるが、覚えているうちに書く必要があって仕方がない。午前中は株を見張ったほうがいいと言う理由もある。



 展望バスルーム付属の展望トイレで雄大な北京の景色を見ながら排便する。向こうのビルから天体望遠鏡で見学している中国人どもに大和魂の排便を見せつけるという意味もある。



 現地時間11時23分に本日の冒険旅行に出発。まあ私の観光旅行は残業が多いから、これくらいがいい時間かな。



 今日は2000年に住んだ左安門に異常がないか点検に回る。つまりホテルを出て左だ。



 長安街W酒店の前の歩道橋。













 鉄道の下をくぐる。



 北京城東南角楼。







 ここで簡単に二環路を行くつもりだったが、見る物もないだろうと考えて西へ進む。







 直進は南花市大街、右は東花市大街、左は花市大街。








 こんなだったなといろいろ思い出すことがある。この辺りは賑やかでもあり、あまり変わってもいない。





 劇場。




 2000年に北京についてすぐの頃、この通りを散歩してなにか清涼飲料を買って飲みながら歩こうとしたら呼び止められた。最初は何を言っているか分からなかったが、ビンを返せという意味だったんだな。そんな思い出がある。





 この辺りの道路の反対側で2000年に撮った写真がある。バスが走って埃っぽい道路だった記憶がある。



 ここは遊園地だったが廃墟みたいになっている。







 懐かしい龍潭公園の入り口。2000年にこの辺までよく散歩したと言うだけじゃなくてマンションの26階からよく見えた。





 懐かしい左安門に到着。北京城の外堀になる川。



 左安門橋。



 なつかしい宿舎にご対面。左端の一番上26階に住んでいた。



 見ると、ああとすべてを思い出す。



 ここで毎朝、通勤のマイクロバスを待った。



 この橋の下には散髪屋がいたな。今もいるようだ。椅子が置いてある。ここをくぐって大通りの向かいに出ると、よく行っていた5元の牛肉面と、もうちょっと明るくて清潔な料理屋があったんだ。そこのおばんさんも親切に料理をいろいろ考えて出してくれた。その二軒は我々が居た頃に道路工事のために立ち退きになったと記憶している。立退料とか出るのかねと職場の通訳の岳さんに聞いたら、命令ですよと吐き捨てるように言っていた。



 マンションへの入り口は溶接でふさがれて、ご丁寧にその後を人がやっと通れるくらいに切断してある。どうしようかと立っていると後ろから来た男はくぐっていったので私も中に入った。体格のせいでここを通れない人もいるだろう。



 マンションの敷地の中。



 昔の宿舎にご対面。



 24時にエレベーターおばさんはエレベーターに鍵をかけて寝てしまうので、もみじから帰ると26階まで歩いて上がる必要があった。



 目で見るとすべてを思い出す気がする。



 すぐ近くの1階の便利店。簡単な食い物はここで買ったな。



 さらに昔ほっつきあるいた場所をたどってみる。



 見て思い出した、この1階にはちょっと立派な便利店があった。





 さらに飯を食うために歩いたあとをたどる。




 奥の地下のちょっと気取ったバーみたいなところに連れて行ってもらったことがあったな。




 張とここを歩いたことを思い出す。




 写真が残っている火鍋屋と、よく通った料理屋は無くなっているようだ。昼飯を食いたいんだがなにしろどこも人が多くて気が引ける。



 この店は客が一人もいない。料理も私の手に合いそうだ。ところが、店主らしい男が外でごみの片付けをしている。彼はまさか手を洗ったりはしないだろう。他の忙しい店も手を洗わない点は同じだろうが、忙しくてごみをいじる暇がないだろうし、他の客の食品をたくさんいじることによって私の順番が来るまでに多少は手の汚れも落ちているんじゃないか。グルメサイトなんかが言う"都会の隠れ家"的な店というのはめったになくて、客が居ないのは単純な理由だと私は思う。



 マンションの敷地を出る。



 門の前で右を見る。



 左を見る。



 南の大通りに行きたいので東に歩くともう一つマンションの敷地への入り口があった。当時車で中まで送迎されるときに使ったのはこっちかな。夜、車を降りてマンションまで歩くときに柳の並木の葉が顔にかかったのを覚えている。








 南の大通り蒲方路に入る。当時もにぎやかだったがいよいよにぎやかになっている。ここでは女の子がついて焼いてくれる焼肉店とかマクドナルドとかで食った記憶がある。




 焼け跡かと思ったら豪快な改築工事のようだ。




 昼飯を探してるんだがどこも人がいっぱいだし、なんとか鍋とか北京ダックとか立派な料理名を見ると気が引ける。






 ここは薄暗い大規模商店だった。北京について早々、電池の蓋がちゃんと閉まらない目覚まし時計を買ったのを覚えている。今はカルフールか。



 橋の下の目の悪い胡弓弾き。当時も居た。別人だと思うが。



 橋をくぐって大通りの反対側へ。







 方庄路まで戻って南に歩く。



 北京市第二中級人民法院





 今地図を見るとこれは紫芳園三区だ。マクドナルドかと思ったら銀行だったが、奥に店が並んでいる。




 ここは客もあまり多くなく、料理も手に合いそうだ。



 鶏肉とカシューナッツ炒め。めしは付いてるかと聞くと、付いてると言う。飲み物はコーラにする。



 料理を待っている間、もう一人おばさんのほうの店員がしきりに指を口に突っ込んで楊枝を使っている。まさか手を洗ったりはしないだろう。あいつが私の食事を触るんじゃないかと心配していたが、運よく注文を受けた若い女のほうが配膳してくれた。



 キュウリが多すぎて特にうまくもないが問題なく食える。今回の北京で最初の食事らしい食事だな。とにかくキュウリをたくさん食べた。





 方庄站から地下鉄に乗る。


 ここは南の端だから北に行くんだろうと地図を見ないで電車に乗ったが行き先の駅が私の夜の勤め先の大望路でずいぶん東だ。一度東に走ってから北に曲がる電車だったんだ。それはともかく大望路で一号線に乗り換えて建国門に帰るつもりだったが、まだ時刻も早い(現地は写真の時刻−1時間だ)ので藍島商城を見に行くことにする。電車の中で地球の歩き方を見て、金台路で乗り換えて東大橋で降りればよいことを知る。



 乗換える線を間違えそうになってあやうく方庄站に戻る電車に乗るところだったがなんとか移動に成功する。




 懐かしいねー藍島大厦。十里堡のイトーヨーカドー華堂と並んで高くないデパートだった



 向かいのビルもこんな感じだったな。



 連絡路があることも見れば思い出す。



 この辺をパソコン屋を探してドキドキしながら歩いたな。


 中を拝見すると、昔のある意味文化祭の出店みたいな手作りの感じは無くなって普通にデパートだ。売っているものも何だこれと言うほどのものもない。文房具売り場で黒の消せるボールペンを見た。色は黒しかないと言う。日本にいる中国人に見せるとびっくりしてどこで売ってるのと聞かれることが多いが、藍島商城で売っている。






 パソコン屋を見つける。そういえば昔もあったかもしれないがわからない。



 海賊版を駆逐しよう。こっちはDVDを買いたいんだが。


 店の中を見ると日本で並んでいる商品とどうという違いもない。3階はマザーボードとかも売っている。逆に言うと日本で売ってるものがみな中国製なので違いが無いんだろう。PC-9821と一太郎が売ってない、と騒いでもはじまらない。



 富国海底世界に向かってみる。水族館が見たいわけじゃなくてただ思い出のアイコンだ。








 吉市口東路を北に向かう。実は富国海底世界に行くには西に行きすぎている。









 工人体育館。




 富国海底世界の入り口を探して工人体育場の周りを歩く。せめて工人体育場を目指すべきだったのに、その西の工人体育館の西に出てしまったんだ。












 工人体育場の北面。





 工人体育場の東面。






 遊園地みたいなのが閉鎖で工事中になっている。海底世界も無くなったのかな。



 日本の歩道橋に書いてあるのと同じ作風だな。同じ奴がやってるのか、それとも同じ宇宙人か。




 あった。富国海底世界入り口。これを探して故宮くらいの大きさの敷地をほとんど一周した。中に入ろうとまでは思わない。



 ここが虹橋商場に非常に近いと思い違いをして西に向かって歩いてしまう。実はかなり遠い。







 二環路を南に下って朝陽門で地下鉄に乗る。



 一駅で建国門に戻った。






 夜の部。







 考えてみればホテルから地下鉄に乗るのは初めてだ。私くらい歩く北京人はめずらしいだろう。



 どこの駅も乗り場は深くて遠い。掘りまくるのも大変だっただろうし、いろんな遺跡が出ても見なかったことにしたんじゃないか。戦争中に紛失した原人の骨とかも出たんじゃないか。あれ、そういえば原人の骨はあれ以来出ないのか? ま、いいけど。


 いまリモートデスクトップ北京原人について検索して、明石原人の発見者が興味深い人物であることを知った。





 簡単に大望路に到着。地下鉄は歩くより早くて楽だ。



 駅を出て、SOHO現代城はどこかなと探したら駅がそうだった。



 コンビニで夜食と朝飯を買う。レジの前でボディシャンプーを探したが、どうも洗顔せっけんとシャンプーは何種類もあるがボディシャンプーは無いように見える。体を洗うのは?と聞くと、無いと言う。なぜ?



 昨日気づいていたSOHO現代城1階の餃子屋。餃子屋なら簡単確実に晩飯が食えるだろう。ところが入ってみたら閉店しましたと言う。残念そうに言ってくれるだけで気休めにはなった。そうなんだ、このへんだな。



 ならびの永和大王が簡便そうなので入ってみる。普段着の壮年の男が愛想よく出てくる。レジの横に表示がある27元のこれをくれと頼む。なんとかかんとかと難しいことを聞かれる。



 俺は外国人だよ中国語が分からないよと言うと、いよいよ丁寧になって頭上の飲み物三種類を指してこれを選べと言う。右の、と答えると、豆浆ですねと慇懃に念を押される。そういえばそういう名前の飲み物だった。熱いの冷たいのと聞かれたのは意味が分かったので熱いのを頼む。




 料理ができて私を呼ぶとき彼は、你好と非常に慇懃に叫んだ。料理が登場。鶏の照焼みたいなのとチャーハンと漬物とホット豆乳。




 親切っていうのは心がきれいだとか無欲だとかは全然関係がない。他人が何を欲しがっていてどう感じるかを推察する知能が必要だろう。携帯電話屋とか銀行とか、ここもそうだし、温かく迎えられて非常に感謝している。しかし他人を温かく迎えるには心が温かいだけではぜんぜん足りないんだ。



 現代城A座7階に上がってみるとネットで情報があったスナックサファイヤは実在した。女の子がふたり、ママさんは最近なにかのため出勤しないと言う。カウンターには男がひとり。客は私だけで女の子がふたりとも来た。一人はちょっと久本雅美が入っているだろう。もう一人は007に出てくる中国のスパイみたいな顔をしている。日本語は二人ともぜんぜんできないと言っていいんじゃないか。客が私だけなんだからそうだろうな。ドリンクはゆっくり飲めと言ったら本当にお代わりはなかった。カラオケは中国のキー操作をしてもらえない機械と中国曲が少ないJOYSOUNDの2台で、カウンターで切り替えるらしい。音響は良い。420元だけど400元にするよと言う。雨で危ないからタクシーを呼ぶと1階までスパイが送ってくれたが、自分で拾うとそこで分かれた。


 実はまたこっそりSOHO現代城に引き返してこんどは昨夜の1314に上がって行く。ところが飲み放題は初めての客だけで2回目からはボトルを入れろと言う。なんでもいいから一番安いのと言うと500元の何かになった。角だったかな。昨日居なかったと言う3人ママさんのうちの一人を見たが昨日見たママさんも含めて3人しかいないようだ。北京の金曜とは酒を飲まない日なのか。人民元が無いので1万円と330元を払う。今後何度も来て長時間飲む人には計算が合うんだろう。店持ちのタクシーでご帰宅。



 長府宮飯店に到着。



 コンビニで買ったもの。



 明日の朝飯のパン。



 夜食のポテトチップ。





 朝飯のヨーグルト。




 夜食のチアシードドリンク。