チェックアウトの朝。
退出。
エレベーターの中。心を配って工夫していることはわかる。でもあのベッドでは。歯ブラシなら持ち込めるがベッドを持ち込む旅行者は居ないだろう。
9時にホテル前で待ち合わせ。
出発。
到着。
荷物を車に積み込んで挨拶して引き上げる。
Kさんが途中の100円ショップを見たいと言う。大きな100円ショップでよそに無いものが売っていると言う。見たいものはファミレスのハンバーグを乗せるような鉄板の皿だそうだ。
隣のハードオフもちょっと眺める。
山形駅まで送ってもらう。
山形駅で車を降りる。Kさんは仙台に帰る。
緑の窓口で今日の最終の切符を早く乗れるのに書き換える。次の電車は満員だそうで2つ目になる。指定席が満員なら自由席もいっぱいだろう。
スーツケースを置き忘れないように気を付けて、今日が大納会の株を眺める。今年は悪くなかったが最近は良くない。税金対策で含み損を処理していると言うのもある。
今年最後の山形を点検する。一昨年、宮城の現場からの帰りに初めて来たときは山形と縁ができるとは思わなかった。
斯波兼頼公。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AF%E6%B3%A2%E5%85%BC%E9%A0%BC
> 延元元年(1336年)3月関東執事斯波家長の命により
> 相馬氏を従えて行方郡へ行き、北畠顕家と激しく争う[3]。
> この時兼頼は元服前であり足利竹鶴を称し、重臣氏家
> 道誠の後見を受けている[4]。延元2年(1337年)北畠
> 顕家との杉本城の戦いで斯波家長が敗死し、鎌倉も陥
> 落したため足利義詮は安房へ逃れる。上杉憲顕などは
> 北畠顕家が西上した後鎌倉を奪還、顕家を追って西上
> するが美濃青野原の戦いで敗れる。同年氏家道誠を通
> じて武石道倫の所領(陸奥亘理郡坂本郷)を安堵して
> いる[5]。暦応2年(1339年)には式部大夫として元服
> している[6]。
なんだこれは。行方郡がどこなのか、斯波家長が敗死して上杉憲顕が美濃青野原の戦いで敗れる間、主人公の斯波兼頼がどこで何をしていたのかとんとわからない。書いた本人は知ってるんだろう。誰が誰に氏家道誠を通じて武石道倫の所領を安堵したのか。
ちょっと北に歩く。
ちょっと西に、線路の方にずれて南に戻る。
マンホールの蓋に鏡餅のような雪が置いてある。
山形駅まで戻る。実は昼飯を探している。