西田利の日記

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おふくろについて

 母は2002年5月10日に市立病院に入院した。入院した頃は、おふくろも足も腰も痛いし、痛いと言っても私にも何も出来ない。精神的にもまいったね。私の体重が63kgくらいあったのが54kgくらいまで体重が減って、おふくろに「母ちゃんと同じ病気じゃないかね」と冗談を言ったら本当に心配したので、言ったことを後悔したもんだ。


 市立病院は、うちから歩いて12分くらいの所にある。初めの頃は、毎日夕方5時頃から見舞いに行っていたんだが、1週間ぐらい経ってから、おふくろの食事の介護を家族である私がしないといけないということに気が付いたんだ。それに気が付くまでは、同室の患者さんのなかで歩ける人とか、他の見舞いの人がおふくろの手伝いをしてくれていたんだ。主治医に「西田さんの所はどうするつもりかと思っていましたよ」なんて言われて、初めて食事の度に私が来なければならないってことを知ったんだ。その時はもう1週間ぐらい経っていたんだ。そんなわけで、それからは、病院の昼食の時刻と夕食の時刻に行くことにした。朝食の時も居た方が良いに決まってるけど、それは私には出来なかったんだ。かあちゃんスマン。


 自慢話になるけど、私は、分かろうと思えば人の欲しい物が分かる質なんだ。それで、毎日病院に居る間は、おふくろが楽になるように、安心するように、出来るだけのことはしようと思った。おふくろはトイレに立つだけでも非常に痛いんだから、私が帰る前に、おふくろのスリッパを、ちょうどおふくろの足が下りるあたりにそろえておくことも習慣になっていた。人が歩き回って、スリッパがベッドの下に滑り込んでいたりするからね。スリッパを動かすのでも、おふくろには我慢できない痛みなんだ。で、スリッパをそろえることにしたのは、おふくろに言われたからでもないし、そうしていることを私も言わない。ところが、私の居ないときに見舞いに来た姉が、おふくろからこのことで小言を言われたらしい。私はスリッパをそろえるような気を遣うのに、お前は気が利かない、という話だったらしい。このことはおふくろが死んだ後で姉から聞いたんだ。私もおふくろに気を遣うし、おふくろは昔から私に対して異常に気を遣う。


 おふくろというのはこの世でただ一人、私が言った言葉を私が言ったとおりの意味で理解する人物だった。私はたぶん、よくおかしな事を言い出す人物で、私が言うことが理解できないとか、冗談か本気か分からない、という人が結構いるんだが、おふくろと話すときだけ、そういう懸念が全くなかったんだな。私がいま、この世で本当にやりたい事というのは、もう一度おふくろと話してみたいと言うことだね。おふくろが死んで2年が経とうとしている。もうかなり私の中で、思い出の美化が進んでいるのかもしれないね。