西田利の日記

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どっちでもいい

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061017-00000038-jij-soci
代理出産禁止、見直しへ=「支持する世論も」、厚労相が言明

 長野のクリニック医師が母子間を含む5例の代理出産の実施を公表したことに関連し、柳沢伯夫厚生労働相は17日の閣議後記者会見で、「慎重な方針を公表した当時に比べ、(代理出産を)支持する世論も出てきた。世論の帰すうを慎重に見極めながら、政府としてこれからの方針を検討する必要がある」と述べ、禁止方向を見直す考えを明らかにした。 
時事通信) - 10月17日12時1分更新』
 私はこんな問題には詳しくないんだ。正直言ってどっちでもいいんだ。ただ思うのは、他人のやることの是非に口を出す場合は、十分に慎重でなきゃならんと思うんだ。


 お母さんがこどもが出来ない体なので、代わりにおばあさんが産んでやったって言うのは、強烈な話だが美しいじゃないか。これを禁止したいという人は、こどもの幸せのために、とでも言うんだろうが、現実のこどもがこんな問題で不幸になっているかどうか、身の回りを見てご覧なさい。ニュースを見てご覧なさい。


 私自身の感情を言うと、私の周りの人間が全員代理出産で生まれていたとしても、私はちっとも嫌じゃないんだ。私を不愉快にして苦しめるのは、3日に一回電車で出会う一心不乱に鼻くそをほじっている人。私が心底憎んでいるのはこういう人たちなんだが、電車の中で鼻くそをほじることを禁止する法律は誰も作ってくれないじゃないか。順番が違うだろ。


 細かいことを言うと、おばあさんが代理で出産して実子にして次におかあさんの養子にしたというこのニュースと、外国人が代理出産しておかあさんの実子にして代理母の記録は消してしまおうというもう一つのニュースでは、私の感想は違うんだ。でも私がとやかく言うべきことじゃないからな。


 赤の他人が勝手にやってることの善悪を一生懸命考えていちいち法律で禁止しようとする人って、ちょっと考え方がおかしいと思うよ。自動車のスピード違反を全員懲役刑にすれば、毎年数千人の命が助かるんだ。でもだれもそんなことはしたがらない。自分に関係してくるからな。ところが一億人の中の数人の夫婦が、こどもが出来ないことを悲しがっておかしな方法で子供を産んだりすると、早速乗り込んでいって法律で禁止しようとするんだ。代理出産なんか許可するとこんな弊害がありますよ、なんて言い出す人がいるんだが、それは、日本人に自動車の運転なんか許可すると毎年6000人の死人がでるかもしれませんよ、と言ってるのと同じなんだ。ところが、自動車の運転を禁止されると自分も困るもんだから、これを禁止しようとはしないんだ。しかし代理出産のほうは禁止されても自分の生活には影響がないもんだから、そんなものは禁止してしまえと、平気でこんなことを言い出すんだ。それを本当に必要としている人もいるかもしれないとはまじめに考えないんだよ。


 近所の居酒屋で自分の好悪について語る時に言っていいことと、有権者として発言する時に言っていいことでは、とうぜん違いがあってしかるべきだと思うんだ。自分自身はこれが嫌いだが禁止することは出来ない、と言うものが必ずあるはずだろ。私は電車の中で一心不乱に鼻くそをほじってる奴や、2分ごとに鼻をンガガ鳴らす奴が大嫌いで、法律で禁止したいと思うんだ。しかし彼らの事情では、これをやらないと鼻が詰まって死んでしまうかもしれないわけだから(そういう病気だって1億人中に3〜4人はいるかもしれないわけだから)、これを法律で禁止することはできないわけだ。それは私も納得してるんだ。奴らを好きになることは出来ないけれど、160円で電車に乗りたいと思うならこういう目に遭うことも我慢しなきゃならないんだ。それが社会ってもんだろ。自分の好き嫌いの基準と、それを他人に対して禁止する基準は、別の物であるべきだよ。


 医療関係のニュースで本当に気になるのは、何千万円の寄付を集めて外国に移植手術に行くこどものニュースだよ。このニュースの裏に、外国に移植手術に行かない同じ病気のこどもが居るんだ。日本に技術がない訳じゃないんだ。寄付を集めて外国に移植手術に行くことは、めでたいことに違いないけど、寄付を集めることができず外国に移植手術に行くことができない人のことを想像しないわけにはいかないよ。技術の問題じゃないんだよね。まーどっちでもいいか。私も深刻に考えてる訳じゃないよ。