西田利の日記

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他人の絆

http://www.chunichi.co.jp/article/feature/olympic/general/list/200806/CK2008062502000227.html
【総合】<ともに追う夢>1 競泳・松田丈志、久世由美子コーチ
2008年6月25日
選手は自分の力だけで大きくなれるわけではない。夢に向かって正しく導いてくれる師の存在はありがたい。近づく北京五輪へ、一緒に歩みを進める師弟たちを追った。
出会ってから20年になる。旭化成の元競泳選手だった久世由美子(61)が指導していた宮崎県延岡市の東海(とうみ)スイミングクラブに、松田丈志が通い始めたのは4歳。当時の久世は選手コースを指導。本格的に師弟の間柄になったのは8歳の時だった。

 その年の夏、バルセロナ五輪で中学2年生の岩崎恭子が女子200メートル平泳ぎで金メダル。松田は目を輝かせ、久世をつかまえた。「速くなるにはどうしたらいいの」。コーチは「意識の高さを感じた」と思い返す。

 クラブは29年前、地域の子どもたちに水泳の楽しさを教えようと、後に松田が通う東海中のプールを使って発足した。九州とはいえ冬はつらい。有志が資金を出し合ってつくったビニールハウスで覆っても水温は10度以下。温水を求めてプールを転々とした。松田が全国レベルに成長したことで、高校に進学すると、延岡市の補助でボイラーを設置。年間を通して使えるめどが立った。

 久世は「周りの人が知恵を出し合って支えてきた。松田にはそういった中で育てられたことが身に染みている。私に何も最新の理論はない。心をもらってこつこつやってきた」と強調する。松田は「僕もコーチも、いいタイム、いい成績をという気持ちがあってやってこられた」と力を込める。

 大学進学の際、大半の強豪は2人の離別を条件にした。松田は「コーチがいなければ残る」と決めたが、久世は「強い学校に行った方がいい。芽を摘みたくない」と揺れた。中京大だけが師弟の間柄と変わらぬ環境を尊重。夫の征志(62)に「ここまでやったらやりたいだろ」と背中を押された。大学や家族の配慮に2人は感謝を忘れない。

 アテネ五輪で日本はメダルラッシュにわいた。松田は400メートル自由形で40年ぶりの入賞を果たしたが、帰国後、メダリストがもてはやされる姿は歯がゆかった。

 「どんな練習も追い込み抜く」と松田。北京では、世界のトップに近い200メートルバタフライにメダルの照準を定める。コーチもこれまでの思いを込めた。「あの子が一生懸命だから長く続いた。メダルにたどり着きたい」  =敬称略

 (田中浩一郎)』