西田利の日記

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蜜月

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%B3
中東の反米政権を潰す目論みを立てたアメリカのロナルド・レーガン大統領率いる政権は1984年にイラクと国交を回復し、1988年に至るまでサッダーム・フセイン政権に総額297億ドルにも及ぶ巨額の兵器供給を行った。1983年12月19日にはレーガン政権から派遣されたドナルド・ラムズフェルドイラクを訪問し、フセインと90分におよぶ会談を行っている。

サッダーム・フセイン政権は1980年から1988年まで国境紛争でイランと戦い(イラン・イラク戦争)、この戦争のさなか1988年3月に、サッダーム・フセイン政権が国内に住むクルド人に対して、毒ガスを使って大量虐殺を行った。当時のアメリカのレーガン政権もこれを黙認した。

イラン・イラク戦争アメリカがイラクを支援した理由には、イランが他の中東諸国にイスラム革命の輸出を行なえば、サウジアラビアクウェートアラブ首長国連邦などスンニ派が実権を握る宗教色の薄い親米政権が危うくなり、石油の確保などアメリカの利益も危ぶまれる可能性があったからだとされる。

(以下はジョージ・ワシントン大学アメリカの情報公開法に基づき政府に開示させた資料を元に書く)

ドナルド・ラムズフェルドアメリカはラムズフェルド(前国防長官)を特使としてイラクに派遣、全面的な支援を約束した。武器提供・石油パイプラインの建設などでイラン・イラク戦争の開戦を促した。イラクアメリカの会談の際、話が化学兵器に及ぶとアメリカ側のジョージ・シュルツ国務長官は「我々は特に問題視していない」と答えた。そのため、イランと結びつく危険のある国内の反対勢力である少数民族クルド人に対して化学兵器が使用されたとされる。また英国メディアによるとこの時期、イラクに向けて化学兵器生物兵器の原料がアメリカ、イギリスから輸出された。』