西田利の日記

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中国語の習得方法

http://questionbox.jp.msn.com/qa6111970.html

本を読んだり学校で習ったりして外国語が出来るようになるのは秀才だけです。凡人はこんなことをすべきでない。つまり「私の名前は山田です。郵便局はどこですか?」などという中国語を学ぶべきではありません。「ボ、ポ、モ、フォ」などという中国語学習を始めるべきではない、というのが私の考えです。中国語教師や通訳にでもなろうと言うなら別ですが、はじめに発音表や文法を学習することは、やめたほうがいいでしょう。我々の忍耐も時間も有限だからです。


 まず、毎日一句の中国語を学習しようと決めることです。「毎日一句」という言葉の意味を厳密に解釈してください。「これはqianbiです。あれはyuanzhubiです。」などと無節操にいわゆる「学習」を行ってはいけません。一日一句を学習するというルールを守ることには二つの長所があります。重要でない長所は、少なく学習することによってその内容を忘れにくいという点です。もう一つの重要なほうの長所は、あなたが熟慮の末今日学ぼうと決めたその一句はあなたにとって最も緊急を要する一句であるはずだという点です。語学学習に必要なのは努力でも才能でもなく目的と機会です。あなたはその一句を使う必要と機会がふんだんにあるはずですから、自然と熱心に学び、また毎日使わなければならないので忘れる可能性がありません。その一句がものになるまで、次の句に進んではいけません。一度ものになった句は絶対に忘れないはずです。なぜならその句は本の第一ページに載っていた句とちがって、学習者自身にとって最も必要性の高い一句だからです。


 具体的には、私が中国生活の初日に学習した言葉は「待ってください」でした。中国語で何か話しかけられたとき、私は「等一下」と言って通訳を探しに行く必要がありました。第二日目には「いいですか?」を学びました。大勢が働く工場建設では、スイッチを入れたりドアを開けたりするのに「行ma?」と言って身振りを見せて確認する必要がありました。私はその日に学ぶ一句をカタカナで書いて持ち歩き、日本語が出来る現地スタッフに会うたびにそれを言って発音を直してもらいました。


 学習のとりかかりにカタカナを使うことは問題ないと思います。すぐにカタカナで表現できない発音にあたり、自然とピンインに頼った方が便利だという結論になります。50音の二次元地図からどうしても離陸できない人がいますが、それでは永久に無理です。新生児の心で先生の口を見、声を聞く必要があります。はじめは発音が難しいものは避けてカタカナ表記できる単語の組み合わせで表現したり、攻め易いところから攻めるのがいいです。「飲む」(he)が言えるようになったときはほんとに感激しました。聞き取りは難しいですから会話は相手が「はい」「いいえ」で答えるような会話を練習します。


 我々が出会う中国語のアマチュア教師には3種類があります。普通話ができる人、自分の中国語が訛っていると知っている人、自分の中国語が訛っていることを知らない人です。「私は中国人だよ。私の中国語が間違えているはずが無いよ。」と言っている福建の留学生が中国語で何を言っているのか他の中国人には誰も理解できないということが起き得るので注意が必要です。賢く、忍耐強く、あなたに好意を持っていて、しかも正しい中国語に熟達した友人を持つ必要があります。「魚香肉絲」はなぜ魚香と言うのか、「的」を話すとき「ダ」と言うのにカラオケで「ディ」と言うのはなぜか、正しく説明できる中国人は多くありません。


 中国語は聞いた言葉、見た文字がすべて辞書に載っているというたいへん学習しやすい言語です。日本語で「やってください」は「やる」と「ください」を連結してどのように変化するかを知らなければ辞書が引けませんが、中国語は新聞で見た文章がそのまま順番に辞書に載っています。中日辞典には手書き入力が必要です。私の知る限りシャープとカシオです。中国語はコンピュータ言語のように規則的な文法を持っており、それに比べると日本語には文法がなくただ習慣で出来ていると言いたくなるほどです。


 中国語学習には才能や努力が必要ありません。重要なのは目的と機会を維持することです。能力が必要だとするとそれは根本的なコミュニケーション能力です。語るべき内容を持たない人、聞くべき興味を持たない人には外国語学習は難しいでしょう。学習する必要も無いでしょう。


投稿日時 - 2010-08-21 07:50:23


忘れ物


 私は絶対に通じない中国語をたいへん流暢に話す日本人をたくさん知っています。彼らはCDで勉強したりNHKで勉強したりたいへん時間と労力を費やしたのですが、生身の先生に出会うチャンスが無かったので労力の大部分は無駄でした。CDやテレビをどんなに注意深く聞いて真似ても、発音の肝心な要素が我々50音生活者の思いも寄らない場所にあるのですから、どうしても生身の先生に「なに言ってるかわからん」と言ってもらう必要があります。通じない中国語を学習したという結果を見せ付けられることは強力なモチベーション低下剤になります。「旅で使える中国語」などに載っている「私は日本人です。」(ウォーシーリーベンレン)などは5万回言っても通じませんから安心してください。要約すると、生身の優秀な先生をみつけて、自分にとって緊急に必要な一句を、少なく完璧に言えるようになる、ということになります。自分は今、どの句を学習する必要があるか、という目的意識をシャープに持つのが良いです。聞き取りと言うのはまた年月がかかる難しい問題です。が、「私は中国語を勉強しています。」ときれいな発音で言えるかどうかということは中国で暮らす日本人には意味があります。


 そうそう、私は当時、ボイスレコーダーも持ち歩いていました。なんと10年前、私が中国生活の初日に学習した「等一下」をスナックで録音してもらったものがまだ残っていました。


http://www.funatsudenshi.com/hatena/10/0821China.mp3


投稿日時 - 2010-08-21 08:51:13』