http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070224-00000004-san-soci
『鹿児島県議選違反 12被告全員「無罪」、ずさん捜査“完敗”
2月24日8時0分配信 産経新聞
平成15年鹿児島県議選で公選法違反(買収)の罪に問われた元県議、中山信一被告(61)や妻のシゲ子被告(58)ら全12被告に鹿児島地裁は23日、無罪判決(求刑懲役1年10月〜6月)を言い渡した。谷敏行裁判長は「客観的証拠は全くなく、買収資金の原資も解明されていない」と指摘、「被告らの自白は不自然、不合理で、犯罪の証明はない」として検察側の主張をすべて退けた。県警は違法な取り調べを民事提訴され、敗訴しており、今回の無罪とあわせて“全面敗北”する異例の事態となった。
検察は論告などで、県議選に立候補予定だった中山被告が15年2月から3月にかけ、妻のシゲ子被告らと同県志布志市の集落で4回会合を開き、住民らに現金計191万円を渡して票の取りまとめを依頼したと主張。
しかし判決は、4回の買収会合が開かれたと自白した6被告(うち1人は公判中に死亡)の供述調書について「実際には存在しなかったと考えられる会合の内容までが、さもあったかのように具体的、迫真的に表現されている」と信用性を否定。その上で「被告らが長時間の取り調べの末、捜査官の強圧的な誘導に迎合した結果、苦しまぎれに供述したとうかがわせる」と結論付け、「7世帯しかない山間部の小集落で複数回の買収会合を開き、多額の現金を配って選挙運動をすることの実効性には疑問がある」と、検察側が主張した事件の存在そのものを事実上否定した。
起訴された12人のうち7人は逮捕時から一貫して否認。捜査段階で自白調書に署名した被告はそれぞれ「警察が描いた筋書き通りの自白を強いられた」と公判で否認に転じ、自白調書の任意性や信用性が争点となった。
弁護側は「4回の買収会合は開かれておらず、現金の授受は一切ない。事件は県警と検察のでっち上げだ」と反論していた。
公選法違反事件の公判では3年、大阪地裁が122被告に無罪を言い渡した例や、5年に松山地裁が出した43被告への無罪の例がある。大阪地裁は判決で「自白は不自然、不合理で信用できない」と指摘。松山地裁判決も自白の強要など捜査の違法性を指摘した。
最終更新:2月24日8時0分』
でっちあげ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070223-00000017-maip-soci
『鹿児島県議選買収事件 無罪判決…「真実は勝つ」
2月23日17時15分配信 毎日新聞
山中さんの遺影を抱き、鹿児島地裁前に集まった被告ら=鹿児島市で23日午前9時11分、金澤稔撮影
「真実は勝つ」−−。03年鹿児島県議選買収事件で23日、中山信一元県議(61)ら12被告全員を無罪とした鹿児島地裁判決。支え続けた家族や住民の目も歓喜の涙にぬれた。3年8カ月に及んだ裁判ではもう1人、無罪を叫んだ人がいた。05年5月に被告のまま77歳で亡くなった山中鶴雄さん。「自白」の責任を感じ、死の前日も病床で裁判官に「やってない」と訴えた。判決は山中さんの自白も真実でないと認定したが、家族が味わった悔しさは消えることはない。【内田久光】
「(警察官に)言っても、取り上げてくれんとですよ。全然、もう……。『警察が正しいんだ』と、その一辺倒……」
山中さんが病院の個室で裁判所の出張尋問を受けたのは、死の前日だった。その1週間前、弁護人と尋問内容の確認をした姿が、ビデオテープに残っている。
精かんさを感じさせる顔立ち。鼻に栄養チューブをつながれたまま、逮捕された2年前の記憶をたどる。ベッドに横たわったままうつろな表情が続いたが、取調官の態度に話が及ぶと、目を見開き、強い口調に変わった。
03年4月13日の県議選から3日後、警察に呼ばれて人生が一変した。終わりの見えない過酷な聴取。署に向かう途中に自動車事故を起こし、首をけがしたが、翌々日には入院先から任意同行を求められた。5月13日には逮捕され、9月に保釈されるまで、取り調べは計595時間に及んだ。訴えが届かない絶望から、言われるがままに「自白」してしまった、という。
一方で山中さんは、13人の被告の中でただ一人、当初から自発的に取り調べの状況を書き留めていた。後に弁護人の間で「山中ノート」と呼ばれる日記だ。「無罪の証拠はないものかと思って……。何とか残しておかないといけないと思った」。公判で否認に転じた理由を尋ねられ、はっきりと「弁護士の先生と、裁判ではうそは言わないと決めていた」と答えた。
半ば開き直ったような「自白」は、本人だけでなく家族も苦しめた。「父が自白し、それが基になったと周りに言われた。最初は犯人扱い。父はうそを言う人でなく、もう、それが悔しくて……」。山中さんを支え続けた四女(46)は忘れたい過去を思い出しながら、当時の心情を打ち明ける。
今月17日、被告たちの支援者が地元で営んだ山中さんの追悼法要に家族の姿はなく、この日も傍聴には来なかった。「本当に疲れました。何十年分ものエネルギーを使った感じです」。傷はまだ癒えない。
最終更新:2月23日17時15分』
出張尋問を受けたのは、死の前日だった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070223-00000045-nnp-l46
『叫び4年 汚名晴らす 鹿児島選挙違反判決 主文聞き「よしっ」 元県議の中山さん 拘置の恐怖今も
2月23日17時7分配信 西日本新聞
「事件」から4年。無実の訴えが認められた瞬間、廷内には「バンザイ」の声が響いた。2003年4月の鹿児島県議選をめぐり、公選法違反の罪に問われた12人の被告全員に23日、鹿児島地裁で無罪判決が言い渡された。自白の信用性どころか、「事件」の存在さえ疑問視する判決。ようやく叫びが通じた被告たちが、家族が、支援者たちが「真実と正義の勝利だ」と声を弾ませた。静かな山あいの集落をずたずたに引き裂いたずさんな捜査。「被告人」の汚名は晴れたが、住民たちの心に刻まれた傷はぬぐえない。
「被告人12名はいずれも無罪」。主文が言い渡された瞬間、くちびるが「よし! 」と動き、ゆっくりと裁判長におじぎした。1回目の逮捕から4年、「選挙買収」の中心人物とされた元県議中山信一被告(61)が一貫して訴え続けた冤罪(えんざい)の叫びは、ようやく司法に届いた。「会合もお金も、最初からすべてがなかった事件。当たり前のことを分かってもらうだけだったのに…長かった」
拘置日数395日‐。中山被告は求刑(懲役1年10月)の6割という長期間、身柄を拘束された。「刑をからった(負った)のと変わらないですよ」。体重は8キロも減り、拘置中に糖尿病を発病してからは目のかすみにも苦しむ。手錠をはめる音、留置場の扉の閉まる音を繰り返し聞かされ「金属音には今でもおびえてしまう」。連日、「朝から晩まで『(買収の)相手は認めている。責任をとれ』とガンガンやられた」取り調べが、心と体をむしばんだ。
「取り調べは無罪の推定で行われると言いますよね。あれはウソです」。長く、地域ボランティアとして協力していた警察から受けた仕打ち。憤りは消えない。
「追及的、強圧的な取り調べがあったことをうかがわせる」。判決理由の中で、厳しく責め立てる強引な捜査「たたき割り」を断罪する裁判長の声が法廷に響くと、一度小さく息をはいた。「報道も最初のうちは一緒になって事件をでっち上げたんじゃないですか」。憤りは報道機関にも向く。
一度だけ、信念が揺らぎそうになったことがある。
「2回目の逮捕のときだった。私が認めんもんだから、刑事に『奥さんが認めている。あんたのようなうそつきとは離婚すると言っている。あんたが1回でも認めれば、奥さんはすぐに出せる(保釈できる)』と告げられました」。同じく逮捕された妻のシゲ子さん(58)とは、地元でも“おしどり夫婦”で知られていた。接見の弁護士に聞いた。「本当ですか」。「いや、奥さんは(否認で)頑張ってるよ」。「(夫が)認めるならば離婚すると伝えて」という妻の言葉が、ねじ曲げられていた。
2時間半を超えた判決言い渡し。閉廷後、支援者らにもみくちゃにされ、晴れやかな笑顔で万歳三唱の輪に加わった。しかし、手放しで喜べるはずもない。こう語る表情は厳しかった。
「真実が通りました。でもこの4年間は取り戻せません」
=2007/02/23付 西日本新聞夕刊=
最終更新:2月23日17時7分』
『奥さんが認めている。あんたのようなうそつきとは離婚すると言っている。』
「本当ですか」。「いや、奥さんは(否認で)頑張ってるよ」
http://mytown.asahi.com/kagoshima/news.php?k_id=47000260702200007
『不可解な買収会合開催日
2007年02月20日
03年6月4日、投票依頼のための買収会合の主催者とされる元県議の中山信一被告(61)がついに逮捕された。
しかしこの時、会合が行われていたとされる日の中山被告のアリバイを、県警は確認していなかった。捜査関係者によると、起訴に向けて検事が「起訴の数日前までにはアリバイの確認を」と捜査を指揮する県警警部(56)に伝えた。ところが、警部は失念。アリバイを確認しないまま、買収会合について「間違いない」などと検事に報告したという。
起訴状では4回の買収会合の日付は「2月上旬ごろ」「2月下旬ごろ」「3月中旬ごろ」「3月下旬ごろ」とあいまいな表現になっている。
弁護側の要求を受けて、検察側は05年7月15日の公判で初めて1回目の会合が03年2月8日、4回目が同3月24日と特定した。警部は「(会合が開かれた)地区は携帯電話の通話圏外。参加者らの携帯電話にも使用履歴は残っていない」と証言した。
だが、ある捜査関係者はこう明かす。「会合参加者に携帯電話の使用履歴がなく、入院などのアリバイがない日がこの2日しかなかった。だから、会合日をそこに当てはめることにした」
■ □
弁護側は「(1回目とされる)同2月8日は午後7時から午後10時ごろまで、市街地のホテルで60年度卒の志布志中学同窓会が開かれており、中山被告も出席していた」と主張。検察側は、ホテルのメード2人が「午後7時50分から同9時半の間、中山被告の姿が見えなかった」と供述していることから、「中山被告は同窓会を抜け出し、午後8時ごろから9時半ごろに開かれた買収会合に出席した」と反論した。
同窓会で幹事を務めた男性(60)は「県議選に立候補する中山被告を励ますという趣旨もあった同窓会。彼は同窓会長でもある。主役が途中で抜けたら気づかないはずはない」と話す。
同3月24日に開かれたとされる4回目の会合についても弁護側、検察側の主張は食い違う。検察側は、午後8時ごろから同9時ごろまで開かれたとする。それに対して弁護側は、中山被告は市街地のホテルで開かれた地元自治会の懇親会に出席していたと主張する。
当時、自治会長を務めていた男性(57)も「午後7時20分ごろから打ち上げが始まり、中山被告が立候補するということで、あいさつ後に30人ほどの出席者に酌をして回っていた。30分弱は会場にいた」。
その後、中山被告を選挙区内で案内したという女性(65)は「午後8時過ぎから同9時半ごろまで中山被告の車で、豪雨の中で支持者回りをした」と言う。
検察側によると、このとき中山被告はオペル社製の灰色の乗用車に乗っていたことになっている。が、その車は妻のシゲ子被告(57)が事故を起こし、3月24日は修理工場に入っていたことも確認されている。
■ □
今年2月15日夜、鹿児島地裁がアリバイの成否確認のため、志布志市で異例の現場検証を実施した。裁判官と検察官、弁護士が車に分乗して中山被告がいたと主張する市街地のホテルから、会合場所とされる藤元いち子被告(52)宅までを往復。経路や時間などを確認した。検察側が主張するルートを辿(たど)り、片道約21・5キロ、所要時間は約37分だった。
弁護側は「往復だけで約80分。会合に出席したらホテルに戻ることは不可能」と指摘。買収会合を自白した6人の調書には「中山被告が会合の途中で帰った」などという記述は一切ない。
捜査関係者によると、ある警部補は中山被告の同級生と話をし、会合があったとされる夜に中山被告が同窓会に出席していた事実を確認していた。捜査会議で「おかしい」と捜査の方向に異議を唱えたところ、仕事をほとんど与えられなくなってしまったという。
検察側は2回目、3回目の会合の日付はいまだに特定していない。
公選法違反事件は初公判から3年4カ月。買収会合があったことを証明する有力な物証は結局一つも出てこなかった。公判は7日、結審を迎える。
(おわり)
◆キーワード
<公選法違反事件の裁判の経過> 捜査段階で容疑を認めた6被告の自白調書以外に有力な証拠を持たない検察側は、警察官や検察官の証人尋問を軸に、およそ2年間にわたって調書の任意性の立証を展開。弁護側の立証は昨年6月から始まった。自白調書の任意性と信用性が公判の一つの焦点となったが、鹿児島地裁は今年7月、その大半を証拠採用し、「信用性については判決で判断する」とした。これまで52回を数えた公判は7日に結審し、今年度中にも判決が下される見通し。』
ある警部補は、捜査会議で「おかしい」と捜査の方向に異議を唱えたところ、仕事をほとんど与えられなくなってしまった。