西田利の日記

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久米島守備隊住民虐殺事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%B1%B3%E5%B3%B6%E5%AE%88%E5%82%99%E9%9A%8A%E4%BD%8F%E6%B0%91%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
沖縄戦も終盤にさしかかった1945年6月に、アメリカ軍がそれまで放置していた久米島を攻略するため、上陸作戦の2週間前に工作部隊が上陸し情報収集のため住民の男性2名を拉致した。この男性らの情報から、島にはわずか27名の通信兵などの守備隊しか駐留していないことを知ったアメリカ軍は、上陸部隊の兵員を1000人弱(正確には966人)に減らしたという。

拉致された住民は6月26日、アメリカ軍の上陸時に一緒に解放されたが、守備隊の鹿山正兵曹長拉致被害者を裏切り者として断罪し”アメリカ軍のスパイ”としてまず、6月27日のアメリカ軍上陸時に、自宅から避難壕へ逃げる際に拉致されて山中の兵曹長の分遣隊へ降伏勧告状をもっていくように命令された郵便局員を銃殺、6月29日には工作部隊によって拉致されていた区長と区警防団長のほか2家族9人を殺害し、その遺体を家屋ごと焼いた(一説では焼き殺したともいう)。また粛清はその後も続き、アメリカ軍からの投降を呼びかけるビラを持っていたり、投降しようとした者についても”スパイ”と決め付けて処刑された。また日本が無条件全面降伏した8月15日以降も続き8月20日(9月説もあり)にも「処刑」が行われたという。』