西田利の日記

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通りすがりに子供に悪口言われた!!皆さんはどうしますか?

http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4339240.html
人間のすべての発言は発言者自身が何者であるかを表現するもので、普通は、言葉で表現しようとしているその対象を言い表したりはしません。司馬遼太郎の「竜馬が行く」を読んでも坂本竜馬の事なんか分かりません。あの本を読むとただ司馬遼太郎が何者であるかが分かるだけです。日本に48年住んでいる私が「日本人とは」と演説をぶっても、私の演説は日本人とは何かなんて表現してはいません。ただそれを聞いて私が何者かがわかるだけです。その点についてはもう発言者である私というものを容赦なく表現しているといえます。毛沢東が「人民とは」と叫ぶ。毛沢東は中国人民の事なんか分かっていませんでした。ただ毛沢東の演説からは毛沢東が何者であるかを知ることが出来るだけです。歴史学者が「日本の歴史は」と言います。彼の言葉はただ彼自身が何者であるかを示すだけです。その証拠に、大勢の歴史学者が言う歴史の一つ一つがまったく違っています。


 すべての言葉が、言い表そうとする対象を表現することなど無くて、ただ発言者自身を表現しています。


 実は以上は真理ではないでしょう。ただ私の考え方というだけです。賢い人の発言の中にはちょっとは表現しようとする対象を言い表しているものもあるでしょう。ただ私がそれを認めないだけのこと。理由は私がそれを認めたくないからです。


 私は、他人が言う事、やる事はすべて自然現象だと思うことにしてます。私は他人がやることの責任を取りません。不しつけな子供を見たら、「ああ、おまえが私の子供じゃなくて良かった」と思うだけです。路傍の人から何かショックを受けた場合は「この人がこれから私のガンを切る外科医じゃなくてよかった。家族じゃなくて良かった。」と思います。こんな世界観はそんなに幸福とは言えないでしょう。しかし他に自分の精神衛生を守る方法がありますかいな。


 質問者さんは、足が太いと言われて悲しかった。お察しします。しかし、本人が理想とするほどは足が細くなかったとしても、他人の足が太いと叫んで回るような人間に生まれつくよりは、だいぶ運が良かったじゃないですか。


 私自身は、痩せた女よりもたくましい女のほうがが好きですよ。しかし私からこんな事を言われても(私の本心ではありますが)質問者さんはちっともうれしくないでしょう。質問者さん自身が考えるあなたの長所というものは足の直径なんかとはぜんぜん別の場所にあるからです。それを知っている人の褒め言葉こそ嬉しく、それを知っている人の非難こそつらいのではないですか?


 私自身について言えば、頭の毛が薄いと言われるのも(事実ですが)、毛深いと言われるのも(事実ですが)、よく言われますがちっとも気になりません。私が聞きたい褒め言葉、私が恐れる非難はまったく別のところにあるからです。


 私だったら、他人が礼儀知らずに育つことに対して責任を感じませんよ。礼儀知らずというものは居るものだし、私は医者でも教師でも、彼のお父さんでもないのだから。むしろ自分が彼らと違う風に育ったことを確認できて嬉しいくらいです。私はこのように考えることにしています。』