西田利の日記

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2023年2月12日の日記

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[その他]夢

 でっかい病院みたいな建物で、自分用の就寝できる部屋があって、現場と部屋を何度か用事で行ったり来たりしている。そのうちに何かの競技のようになって、舗装された田舎の坂道を、ローラーボードみたいなのに伏せて、うつ伏せで下っていく。白い乗用車が排気管から煙を吐きながら坂道を登って来てすれ違った。あの青い排気ガスの匂いがする。さらに下るうちに、その車が吐いた以上に煙は濃くなって、濃霧のように前が見えなくなった。前方に同じ競技者の気配もあるので、衝突しないように、私は、ムー、ムーと霧笛の口真似をしながら降りていく。煙の向こうに広場が見えて、そこから力士の顔がこちらを見ている。現実の力士の顔のようでもあり、走査線が見える映像の力士の顔のようでもあった。久しぶりの故郷というイメージなのかな。

[メシ]朝飯

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 東横イン鹿児島中央駅西口の豪華ビュッフェ朝食。

[その他]午前

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 昨日の川内-鹿児島中央乗車券問題をえきねっとで確認する。やっぱりえきねっとで買っていて、大宮駅で引き出している。東京駅の新幹線改札で機械に盗まれたんだ。

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 窓の外の雄大な鹿児島の景色。電車は徐々に接近する騒音なのであまり神経に触らないんだな。

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 チェックアウト。

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 鹿児島中央駅西口。

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 2階の改札がある通路を通って東口に向かう。改札から降りる階段の左のこれは・・・

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 階段かと思ったらそうじゃなくて休憩所か。階段と階段型休憩所の間はずっと手すりで仕切られている。階段を歩いて疲れたら一番下まで階段を降りて隣の階段型休憩所を登って休憩すると言うのか。階段の途中からベンチに行けないって不便じゃないか?

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 鹿児島中央駅東口。

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 市電に乗り込む。名門校の母校を訪問しようと存ずる。

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 市電は何年ぶりかな。子供の頃は上塩屋のおばさんの家に行くときに乗った、工学部に通う時も乗った。日記を検索すると18年2月6日に乗っている。

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 西駅一番街がビルに変わっているではないか。09年9月24日の日記に、西駅一番街は相変わらず寂れていると書いてある。とうとう消えたか。

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 オートショップ大栄があった場所。SR250を買った。というか、機械科の同窓生がここの入り婿になった。

 30年ほど前に、成田のT君が朝、足を椅子から降ろしてくださいと女の子の店員に言われたロイヤルホストはまだあった。今後も青少年に礼儀を教え続けてほしい。

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 JTの跡の市立病院、交通局。

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 このジョイフルは知ってたような気がする。

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 電車賃170円で工学部で降りる。電停から周りを見回す。唐湊の陸橋。小学校の頃に出来た当時は画期的だったループ橋。

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 鹿大の400mグランド。

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 大学通り。幼稚園の途中から小学校の3年まで法文学部の前に住んでいて、飼っていたウサギのエサにする草をこの道路までに刈りに来ていた。当時の大学通りは舗装していなくて、道の両側は草ぼうぼうだったな。

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 工学部に入ってみる。

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 うわさには聞いていた稲盛会館。私が通った頃は無かった。

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 海洋土木の建物は変わってないような気がする。

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 機械科。

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 なんだ手前は化学生命工学。聞いたこともない学問だ。

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 稲盛通り。なにしろ母校出身の有名人は稲盛和夫岡本公三だけだ。

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 機械工学科。

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 情報・生体工学。HALみたいな専門学校で教える科目じゃないのか。

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 なんと、あれは水力学講座だった建屋じゃないかな。

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 水力学講座の右は当時はテニスコートで、その屋外トイレが我々のトイレだった。毎日トイレを我慢しすぎて膀胱が悪くなったな。

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 生協のほうに歩いてみる。左を見ると昔のように農学部の畑が見える。その先はJTじゃなくて今では市立病院のヘリポートか。

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 電気電子棟の狭いすき間を通って生協食堂に行く道。そういえば左に曲がると電算機室だったかな。いまの携帯電話より能力が低いコンピュータ様の神殿で、紙カードにフォートランを書いて銭湯の衣類棚みたいなのに乗せておくと、数時間後に印刷された結果がコンピュータ様にかしずく巫女たちによって棚に載せられているという仕掛けだった。FACOM M230-45Sだったのかな。メモリー容量512KB、16bit二進数加算1.4μS。いまならMS-DOSなら何とか動くかもだ。

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 高校三年の時、第一希望に書いて落とされた電子。電気を第二希望に書いたら、電子に落ちたら電気も落ちるから化学工業か応用化学と書けと言われて選んだのが機械科だった。

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 ここでも左を見ると農学部の畑。右は電算機室の跡じゃないかな。

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 まっすぐ行くと生協。

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 変わってないな。

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 生協食堂は図書館みたいになってる。そしてラーメンコーナーが無くなっているではないか。無くなったんじゃなくて写真では左にある他の調理場と合体していた。

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 あまり変わっていない生協食堂。そういえばこの場所が以前夢に登場したような気もする。

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 学生会館の方に歩いてみる。つまり池のほうだ。

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 池のほとりの和風の建物。この意味が在学中もわからなかった。

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 鹿大の前に住んでいた小学校の頃から変わらないこの池。

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 学生会館。1階に喫茶店と散髪屋があった。2階はテーブルとソファーがいくつかあって、学生のトランプ場になってたな。

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 学生会館の前から法文学部の門までの道路はすっかり変わっている。

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 共通教育棟1号館? そんな名前だったのかな。教養部とか言っていた。

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 この辺は以前どうだったのか記憶すら・・・いや、生協の売店と書籍部だったな。

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 さだまさしの主人公でした。

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 法文学部の門を出て大通りを渡り、左を見るとこの先は高麗町とか船津町の家方面。

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 右はもうひとつの母校附属小学校とか小学校3年まで住んだ鴨池の家とか方面。

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 鴨池の家の最寄バス停だった法文学部バス停。

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 鴨池の家があった場所を尋ねてみる。鴨池とは当時の町名で、現在は荒田二丁目だ。

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 ここは学生時代にたまに生姜焼き定食を食った喫茶店だった。ローゼンだったかな?

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 私の家の裏に当たるこの角は、幼稚園の頃から大学の頃まで喫茶店リーベがあった。

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 鴨池の家のすぐ近くのこの突き当りはトウモロコシ畑だったな。

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 私の家があった道。

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 私の家があった場所。今の地名では荒田二丁目61-14かな。当時は庭と池と駐車場がある木造モルタル二階建てだった。

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 となりの渋柿がうちの駐車場に覆いかぶさっている。

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 生垣で隠れているところに池があった。

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 家の先のちょっとした坂道。小さい頃はこれを自転車で登れなかった。

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 プラモデル屋があった場所。私の家は左の道の奥だ。

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 近所の酒屋があった角。よく煙草を買いに行かされた。燕が店の中に巣を作ったのでガラスを外して燕が出入りできるようにしてあった。

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 騎射場のほうに歩いてみる。

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 騎射場公園。小学校の夏休みはここにラジオ体操をしに来た。

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 鹿大生の娯楽場第五富士。このパチンコ屋もとうとう閉店したらしい。

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 その向かいは鹿児島銀行だったが、いまではそうじゃないらしい。

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 市電で天文館に戻る。

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 武之橋、天文館の方。

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 郡元、谷山の方。

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 電車がまいります。

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 見忘れている思い出は無いかなと、あたりを見回して学ぶことは、過去ではなく今の暮らしで身の回りにあるものを味わい尽くさなきゃならないという事だ。

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 武之橋。甲突川。

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 市立病院の跡。こんな広場にするために移転したのか。五つ子ちゃんが生まれた市立病院。おふくろが肺がんで入院した市立病院。

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 電車の内装は変っているが運転装置は昔のままだ。タップ制御。トランスのタップを切り替えるやつだ。

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 天文館で電車を降りて、小山田霊園経由で薩摩川内に行く。バスに付いてはネットで調べてきたがよくわからなかったので、天文館のいわさきバスチケットセンターとやらで聞く。

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 上大迫バス停に行きたいと相談すると、時刻表を上げましょうと紙をくれた。時刻表があってもどのバスが上大迫に停まるか分かりませんよね、と聞き返すと、じゃぁ営業所に電話して聞いてみますと電話をかけている。その結果は、向かいの6番のバス停で川内行に乗れという。ネットで見ると川内行きでも上大迫を通らない路線がありますが、と聞き返すと、また営業所に電話して聞いている。私が営業所とやらに電話をして聞くべきだったんだ。今度は、51番バスはダメだ、それ以外ならどれにでも乗れ、と言う。

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 時刻表の私が乗るべきバスを塗ってくれた。11時5分。時刻はちょうどいい。不親切ではないんだが、自分が何を売っているのかよく知らないんだ。ここだけじゃなくてバス会社はこんなことが多い。特にいわさきコーポレーション(鹿児島交通)と言う会社は、webサイトを見ても自分で路線が把握できていないことが分かる。丸投げしている外部の会社も、川内行きに関しては書いてあることがデタラメだった。

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 教えられた通り、向かいの6番のバス停で川内行きバスを待つ。

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 天文館アーケード。

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 バス停の向かいは昔はリンデンボーリング場だった。リンデンとは林田観光の音読みだ。そのあとホテルになって、大きな書店も入っていた。そのあとは御多分に漏れず駐車場になっている。どこもかしこも経営に行き詰まって駐車場だ。

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 ぼんやり思い出に浸っていると、さっきの切符売り場の人が来て、さっき51番はダメだと言ったが11時5分の51番で上大迫に停まります、詳しくは運転手に聞いてください、とわざわざ伝えに来てくれた。よく知らないものを売るって責任感がある人にはたいへんだな。そうじゃない人もいるが。

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 懐かしい南国バス。塗装は昔から変わっていない。吉野に住んでいた小学校の友達のNの家に行くときに花棚行きに乗ったな。

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 鹿児島交通の川内行きが来たので、上大迫に停まりますかと運転手に聞くと、停まりませんと言う。あそこの案内所で停まると聞いたんですが、と言うと、後ろのバスかもしれません、と言う。すぐ後ろにもう一台停まったバスにも川内行きと書いてあって、運転手に同じことを聞くと、停まりますと言う。

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 バスは懐かしい伊敷方面に向かう。

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 国道3号線が狭くなるところ。

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 上大迫で490円でバスを降りる。

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 同じバスで川内に行くのは13時5分。時間が空きすぎなので伊集院駅まで歩くつもりだ。

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 上大迫から小山田霊園は遠いと思っていたが緩いカーブのすぐ先だった。

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 初めて徒歩で墓地を登る。

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 いつ来ても、先週清掃したようにきれいになっている。

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 トイレを借りる。道の反対側には成田のTの義理の親の墓地があるはずだ。昔ここで埋葬に来たTにばったり出会ったことがある。08年8月24日だと日記に書いてある。

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 両親の墓の右に本物の榊が、左に作り物の榊が挿してある。本物も枯れていないのは何か月も前じゃないだろう。これは姉がやったのか、捨てていいかどうか姉に電話する。姉も誰がやったか知らないというので、とりあえず捨てないことにした。この墓を知っているのは両親のヘルパーだった人がひとりだけだ。近所の墓の人が、この家は何も管理していないと気にかけて清掃してくれたのかもしれないな。霊園の会社は清掃はするかもしれないが、榊を入れたりまではしないだろう。

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 高台の気持ちがいい墓地。お家賃は年1万円也。私が入った後で管理者不在で無縁仏にしてもらう。

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 さて、坂道を降りて出張の目的地、薩摩川内に向かう。本来は今日が移動日だった。

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 google地図を頼りに国道3号線を薩摩川内に向かう。こんなところを歩く日が来るとは思わなかった。

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 レストランの廃墟。

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 かくしカメラ有り。あるでしょうとも。

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 公衆電話だってある。

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 2時間近く歩くんだ。

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 この車は?

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 ダットサン。フェアレディか。

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 鯉がたくさんいる。

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 水鳥もいる。鯉に足を食われるのが怖いのか、隠れている。

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 麦生田とやらで左折。伊集院に向かう。

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 途中の自動車会社か何かの庭から出てきた子犬。吠えず、ただじゃれたがっているようだ。かわいいね。

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 伊集院に入る。妙円寺まいりに夢中になっていた時期もあった。鹿児島から徳重神社まで夜間に歩く行事。それを考えれば今日の徒歩移動だってたいしたことはない。

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 こんな所にまで作品が。

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 交差点にどっちが伊集院駅と言う表示が無いので少し行き過ぎた。google地図を見て引き返し、伊集院駅に向かう。薩摩川内では防衛上の理由で駅の位置は秘密なんだろうな。私が初めて台湾に行った頃は正確な地図を販売することが台湾では禁止だった。

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 伊集院駅に到着。とするとさっき見たのが駅前の賑わいだったのか。

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 日置市。伊集院は日置市になったのか。

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 武将のコスプレになれるまち。武士道を推奨しているわけではないだろう。

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 電車まであと46分。ちょうど昼飯が食えるほどの時間がある。

[メシ]昼飯

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 駅前の近くのふたつの建物。他には食堂のようなものも無い。

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 大きな建物の中にケンタッキーとマクドナルドがあったが日曜の昼で座る場所も無いので、スーパーで昼飯を買う。タイヨーと書いてあった。懐かしい。

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 駅のホームのベンチで昼飯を食う。ミックス助六と特濃調整豆乳。

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 ミックス助六とは? まさかいなり寿司と巻き寿司のミックスではあるまい。

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[その他]午後

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 自動販売機でコスタコーヒーとやら190円。

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 島津義弘像。ナポレオンか。

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 川内行きの電車が来る。JRじゃなくて肥薩おれんじ鉄道だ。

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 途中の駅。

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 途中の駅の大部分はこんな調子。

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 川内駅に到着。

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 川内でも東横インに泊まる。昨日の東横インのポイントで1泊無料が達成しているはずだ。鹿児島だけ旅行支援も地域限定クーポンも何もくれないので4泊中1泊をポイントで泊まってやるのだ。ポイントなんか値引きの後払いに過ぎないが。

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 鹿児島と同じセルフチェックイン薩摩川内駅東口にチェックインする。さすがに2回目となると機械による歓迎もあまり不愉快でもない。この調子なら、祖国の領土に外国の軍事基地が出来てその基地の維持費を毎年200億円払う事にも慣れる日が来るだろう。

 自治体名は川内市から薩摩川内市に変わったが、駅名は川内駅のままだから、ホテルの名前も東横イン川内駅東口が正しいだろう。薩摩川内駅東口だというなら、薩摩の川内駅東口か、または薩摩川内の駅東口という意味のはずだ。細かい話だが。

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 なぜすりガラスなのか? 気になる。

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 窓はわずかしか開かないが、外は普通の道路だ。

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 東横インwifiではたまにあることだが、携帯やパソコンでは使えるがIXY210で使えない。たぶん電波の種類に因るんだが。幸い有線LANもあるし、LANをwifiに変換する器具も持ち歩いているのでこれを使って便利に使えた。移動のたびにwifiを登録しなくていい点がとてもいい。

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 ホテルの自動販売機で缶コーヒー110円。

[メシ]晩飯

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 晩飯を買いに出かける。

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 川内駅東口のファミリーマートのレジでおでんや肉まんや唐揚げを眺める。どれもうまそうに見える。

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 買い物完了。

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 海老とブロッコリーのペペロンチーノ。

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-トロピカーナエッセンシャルズマルチビタミン
-チキン竜田梅しそ味
-海老とブロッコリーのペペロンチーノ

[その他]夜

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 果汁100%アップルとセイカの塩せん。

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 キャノーラ油を使用。当たり前だ。キャノーラ油でない菜種油は元々有害だったのでアメリカでは使用禁止だ。

 24時近くまで昨日の日記を書いて就寝。本日25131歩。